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2006年12月23日

産後ケア院に行く・その15

私と韓国語の先生、そして産後ケア院の
社長・本部長の4人で
産後ケア院見学のために車で出かける。
社長自ら運転である。申し訳なくて緊張する。

本日見せていただくところは2箇所。
産婦人科医院が経営しているところと
事業家が経営しているところ。
前者はスタンダード仕様、後者はVIP仕様である。

車の中で社長がなんでも聞いてください、とおっしゃる。
ええと、いろいろあるけどとにかくこれでしょ。

日本人が利用したことはありますか?

「ありますよ」

そうだろうなあ。

利用された方が、韓国在住だったのか
それとも日本から行ったのかは聞きそびれた。
でも、里帰りするよりお金はかかるが、気も楽だし体も楽。
そう考える人は利用するだろうなあ。

そんなふうに思ったのには理由がある。
日本において、出産後に里帰りをされた方の
ヒアリングをしてみると
予定滞在日数を切り上げて実家に戻る産婦が
実に多いのである。

1ヶ月しっかりいようとずいぶん前から
計画しているにも関わらず、である。
なぜか?

「親(おもに実母)とケンカする」からだそうである。

理由はいろいろあるようだが、そのなかには
「圧倒的な世代間情報ギャップ」
「世代間コミュニケーションギャップ」
関係していると考えている。

「圧倒的な世代間情報ギャップ」について少しだけふれる。

数年前、正確な育児情報を発信するために
赤ちゃんを科学する、というコンセプトのもと
「日本赤ちゃん学会」がつくられた。

その学会の推薦図書は下記に紹介するが
その本の中でもいわれているように
育児情報がいま本当に「氾濫」している。
私が生まれた頃などとはくらべものにならない。
育児雑誌が相次いで創刊されたのは
10数年前(1990年代前半)だから当然といえば当然である。

リサーチ目的でこれらの育児雑誌を
出版社別に1年分まとめて読んでみた。
驚いた。

多少なりとも医療の知識を持って
専門用語もまずまず理解できる私ですら
読むのに手間取る専門用語の多さ、内容の詳細さ、
情報量の圧倒的多さに驚いた。

「これらをすべて体得せねばならぬなら、私は親になれなくていい」
と本気で思った。

娘が里帰りをする。
親としては育児知識を教えてあげようと思ったら
それはもはや間違った知識だと娘に言われる。
「でも私はそうやってお前を育てたのよ」と言っても
それは昔の話、と一蹴される。

それがいたる場面ででてくれば
チリもつもれば山となる。
当然、ケンカになる。

このあとに
「世代間コミュニケーションギャップ」の
問題が派生する。(それは後日別のカテゴリーで)

そして、滞在予定半ばで帰宅、
夫はびっくり、ということになるらしい。

ちなみに、里帰りをする理由。
いろいろあるが
里帰りする側の意見の一部を以下にあげる。

親だから夫より気を使ってくれる
(夫より気をつかわなくていい)
親だから夫より用事をしてくれる
(夫といる時より用事をしなくていい)
親だから夫よりお金を使ってくれる
(夫といる時よりお金を使わなくていい)

かいつまむとこんな感じらしい。

韓国にも里帰りはあるのだそうだ。
しかし、それでも産後ケア院を利用する理由。
産後ケア院が増えた理由。
これはのちに9月に大学院の教授たちと再訪問したときに
浮かびあがる。
(それは9月訪問編に書く予定)

前置きが長くなったが、最初の産後ケア院へ。
産婦人科医院から歩いて
30秒くらいのビルのワンフロアにそれはあった。

施設長は看護師さん。
きれいなフロアの中央がリビングで
それに隣接してガラス張りの新生児室。
それらを取り囲むように4畳半サイズの個室がならんでいる。

産婦同士のコミュニケーションができやすいタイプ。
リビングにパジャマ姿の産婦さんたちが
2~3人に分かれて2~3つのグループで談笑されていた。

女子大の寮みたいな感じであろうか。
トイレとシャワーは共同(たしか)でご飯はみんなで食堂で食べる。
とほ宿に抵抗がない方なら
居心地はよいのではないだろうか。
とっても楽しそうである。
ちなみに夫は24時間いつでもきていいらしい。

次は、VIP施設へ。


投稿者 Taniguchi : 13:24 | コメント (0)

2006年12月05日

産後ケア院にいく・その14

とにかく社長のおかげで切り出せる。

病院勤務時代に優秀な看護職が
やめていったりつぶれていったりしたこと。
これは社会の損失ではないのか?と考えて
いろいろ行動していたこと。

2004年に見た韓国の産後ケア院の記事を見て
大学や大学院で知り合った看護職たちが全員
「おもしろい」と言ったことがきっかけで
それに関するビジネスプランを書いたり
大学院の修士論文に産後ケア院を盛り込んだこと。

自分の話をしにきたわけではないので以上を手短に話す。

「・・・で、教授から実際に行って見て来い、と言われて
 本日まいりました。」

黙って聞いておられた会長はおもむろに話されだした。

ご自身の体験と見たことからこのビジネスを思いつき
パートナーが賛同してくださりビジネスモデルとして
10年かけてブランドを構築したこと。

身長160cmの私より小さく、細い会長。
しかしオーラはすごかった。
この体からものすごいエネルギーを
発しておられるんだなあと感動する。

途中、感動しすぎて泣く。
訳しながら先生も泣きそうになったらしい。
そのくらいすごかった。

で、記念写真を撮りましょう、と言っていただく。
「これをブログに載せなさい」ともおっしゃった。
諸事情により差し控えていたが、状況が変わったので
掲載させていただく。

【左から・私と会長と本部長】

IMG_0004.JPG

投稿者 Taniguchi : 11:39 | コメント (0)

産後ケア院にいく・その13

親切なおじさんと別れて、てくてく先生と歩く。
途中、人にも聞きながら(もちろん聞いてくれるのは先生)
ようやく会社を発見する。なんとか時間通りである。

こんにちは。
すると相手は驚いていた。
「よくたどり着けましたね。」
いや途中たどりつけないかと思いました、とはいえない。
いきなり女性本部長に握手をされ、会長兼社長室に通される。

東京のシンポジウムで一度だけお会いしたとはいえ
本部長に手を握られたまま部屋に案内されたのでかなり舞い上がる。
そのまま会長とご対面、しかも会長は
正装のチマチョゴリで出迎えてくださった。

チマチョゴリを結婚式以外の場所で初めて見た。
私はといえば、ワンピースに白いジャケット。
着物を着てくるべきだったかとこの時点ですでに反省。
緊張のあまり何をしゃべるのか忘れる。
思い描いていた言葉が吹っ飛ぶが、しかし私がしゃべらないと
先生は訳せない。(あたりまえだ)

とにかくお土産を渡さねばと、日本から持参した緑茶を渡す。
なぜ土産が緑茶かというと、韓国でいま緑茶がブームらしいと
先生に聞いたからである。

緑茶→京都はお茶どころ→重量も軽い→持って行きやすい
→よし、緑茶にしよう!
安易な決定である。
買う場所は、一保堂さんと決めていた。
理由は簡単、他府県の老舗お茶菓子屋に嫁いだ友人が
「いろいろ飲んだけどお茶はここよね~」と言っていたからである。
自分の舌には自信がないが友人の舌には自信がある。

お土産は無事に渡せた。
しかしお土産を渡しにきたわけではない。
しかし、何をどう切り出すかすでにふっとんでいたので
本論につなぐ言葉がなかなかでてこない。

すると社長が見かねて助け舟を出してくださった。
「論文を書かれたそうですが」
相手に助けてもらう訪問ってどうやねん。また反省。

投稿者 Taniguchi : 11:08 | コメント (0)

2006年12月04日

産後ケア院にいく・その12

V4010033.JPG
【食堂で食べたテールスープ・おいしかった】

会社のある最寄の駅に着く。
昼ごはんを食べていないのと会社の場所がいまいちわからないので
近所の食堂でご飯を食べて店の人に場所を聞こうということになる。

先生と1件の食堂に入る。
このあたりは観光地ではないので日本人はほとんど来ないらしい。
お店に入り、テールスープを頼むと
最初に何皿かお惣菜がでてきた。これは無料なのだそうだ。
なんて太っ腹な、と思いながらある1皿をたいらげた。
すると。なんとお店の人がおかわりを持ってこられた。

なぜ?!

先生が解説してくれた。

1.私
  →おいしいから、たいらげる
2.お店の人
  →「ん?足りなかったのかしら?追加しなきゃ!」
3.私
  →「?!」

だから、少し残しておかないと次々入れられてしまうそうだ。
日本のわんこそばのようだ。
(最近のお店ではおかわりをいれないところもあるらしい)

お店のおばさんに話しかけられる。
「こちらにはどんな御用で?」

「調査」という単語がわからず「勉強です」と答える。
おばさんは不思議そうな顔をされた。
そりゃそうだ。学生にしては老けている。(笑)

お店のおじさんに地図をみせて会社の場所を尋ねる。
するとおじさんは外に出て行った。
どうやら自分もお店の人もわからなかったので
外にいる人に聞きに言ってくれたらしい。
なんてやさしいおじさん。

うれしかったので日本から持参したプチ土産をお渡しする。
おじさんは「アイゴッ!」と叫んで照れていた。
しかも帰るとき外まででて見送ってくれた。
おじさん、本当にありがとう。

投稿者 Taniguchi : 19:08 | コメント (0)